4月は何をして過ごしていたのだろうか?ブログを書く意味を考える
前回のブログ記事から1ヶ月以上も空いてしまった。桜もあっという間に散ってしまい、木々は濃い緑色の葉をつけとても眩しい。
ゴールデンウイークも後半に突入。ようやくゆっくりパソコンと向き合いこうしてブログを書く時間を作ることができている。
一体私は何をして過ごしていたのだろうか?
ざっくり話をすると、いつも通りに仕事へ行き、いつも通りに生活していた。今を生きることに必死で、ブログで振り返るなんてことができない日常を生活していた。
少し時間に余裕ができ、「ブログを書く意味」について少し考えてみた。
なぜ私はブログを書き始めたのだろうか
一番最初の記事を見ると、どうやら私は、1年後の自分を変えたいと思いブログを初めて見たらしい(笑)それすらも忘れているというのは、全くもって自分は信用ならない人間だな。。。
それから旦那さんの禁煙と転職について記録を残したいと思い書いていたようです。おかげさまで、旦那さんの禁煙も現在順調で、転職先の仕事も1ヶ月続いているので、特に残すこともなく、放置プレイになってしまったのが原因なのかもしれない。
私がブログを書く意味はなんだろうか
人がブログを書く意味は当然のことながら、人それぞれかもしれない。私がブログを書く意味はきっと他人にとってはどうでもいいこと。でも、このweb上で全世界公開にしているのであるのなら、せめて「読んだ人の役にたつ」内容を公開していきたいと思っている。
単に、自分の日常を記録するだけであれば、わざわざブログ形式をとる必要はない。手帳に書いたり、メモしたり、また自分のみの公開設定にすればいいのである。
でも、全世界公開にするのであれば、そこには「全世界にいる誰かの目に触れる」ということが起きるのだから、せめて目にした人にとって不快な気持ちにさせてはいけないし、「読む時間」を「無駄な時間だった」とは思われない内容にはしたい。
今回の記事で「読んだ人の役にたつ」内容の部分はあるのか?
・・・すみません。ありませんね。
今日も元気に今を生きています。
ひとつの物事に対する見方は様々。それを選択できるのも当然自分自身。
春です。東京も桜の開花宣言がありました。近所の桜も少しずつ咲き始めました。職場でも人事異動がありました。職場であまり好かれていない上司が異動になり、周囲は喜んでいる人が何人かいました。私はその上司にはそこまで悪い印象がなくどちらかといえばお世話になった立場です。
「同じ人物の上司に対して、よい印象と悪い印象をもつ人がいる。」
なぜそのような出来事が起こってしまうのだろうか?その時のタイミング?考え方の違い?態度?要因はわからないけれど、ひとつわかっているのは、全員がすべて同じ印象をもつことはない。だからこの世の中が成り立つのかもしれません。
【こだまでしょうか】金子みすゞ
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
***
ひとつの物事に対する見方は様々。「この人がすき」って思うと「すき」って思ってくれる。「この人が苦手」って思うと「苦手」って思われてしまう。
前回の記事で書いた言霊ではないけれど、言葉の力は自分に跳ね返ってくるのかもしれない。
こだまでしょうかの詩の一番最後は「いいえ、だれでも。」で終わっています。
この「いいえ、だれでも」の意味を考えると、この言葉を言っているのはだれでもない、自分自身だと思うのです。
それは自分自身。
お互い言い合っているようにみえるけれど、結局自分の発した言葉はこだまのように自分に跳ね返ってするのではないかと思います。それはまるで鏡のように、その姿そのものが自分自身を映してるのです。
春日 深青(Kasuga mio)
追記
金子みすゞという詩人は「あなたと私」をテーマとして数々の詩を残してきた詩人です。
「私とあなた」ではありません。相手がいて初めて自分がいる。
相手がいて初めて自分を認識できる一方的な見方だけでなく、弱者や相手側の心情まで深く読み取りた詩をたくさん残しています。そして相手にとっても自分は大切なあなたになれるとうたっています。
この「こだまでしょうか」の本来の意味はきっと相手がいるからそう言える、相手がいるから自分に振り返ることができる。そういった意味あいが本当に金子みすゞが伝えたい意味合いがあると思います。
今回、こだまは自分自身だと解釈しました。読まれた方と解釈が違うことがあるようでしたらご了承ください。
言霊は存在するのだろうか。合言葉のように唱えていた話。
「春までにはなんとかなる」
私が禁煙の症状が治まらないときや、旦那さんが新しい就職先が決まらないときに使っていた言葉です。もう、何度この言葉を言ったことか・・・実際に口に出したり、心の中で唱えたりと、最終的には意識せずに無意識の中で発していた言葉です。
もちろん、なんの根拠もありませんでした。
*禁煙のつらい症状を緩和できる根拠もない。
*新しい就職先が決まる根拠もない。
でも感覚で、そんなにツラいことは長くは続かないだろうなというのだけがあり、そこから「春までにはなんとかなる」と伝え続けました。
そして、春までにはなんとかなりました。(わーい!)
禁煙症状についても現在はほぼ改善されました。あんなに苦しんでいたのは一体何だったんだろうか?と思うほど普通の生活を送れるようになりました。
旦那さんの就職先もようやく決定しました。先週面接したうちの2つめで決まり、4月1日付での採用となりました。三ヶ月間の試用期間がありますが、その後正社員登用となることもあるようです。
そして、前回のブログで書いた「自分のすきなこと」を職業に選んできました。面接をしたところの社長さんが彼と同じ高校の先輩だったことが判明(高校は関西地方です)なんという偶然!縁を感じ採用していただけたようです。
言霊は存在すると実感したこの2ヶ月間
しつこいぐらいに、言葉に出して伝えていました。横で聞いている彼からは常に「前向きだなぁ〜」と言われ続けていました。それでもめげずに言葉に出していました。そうすると叶っていた。言っている自分からすると、本当になんの根拠もないけれど、感覚で「春までにはなんとかなる」と思っていたし、「自分のすきなことをすればいいのに」と思っていました。ふと、声に出していたことが叶った時に一つの言葉を思い出しました。
声に出した言葉が、現実の事象に対してなんらかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
あまり意識したことのない「言霊」でしたが、本当に言葉の力はあるように感じました。言霊については、もう少し覚書として残しておきたいことがあるので、また機会があれば別の記事で記録しておこうと思います。
私はここ最近は意識して「プラス」な言葉を発するようにしています。「マイナス」な言葉は封印中。でも意識している時点でまだまだですね。無意識の中で発することができるようにすると叶うのだと感じました。生きていると必ず良いことが回ってきます。
止まない雨はない。明けない夜はない。必ず太陽は私たちを輝かせてくれるのです。
春日深青(Kasuga mio)
転職に悩んでいる人に伝えたい3つのこと
なかなか就職先が決まりません。
この前の3件も不採用の通知が来ています。めげずに新たに4件面接にいくようです。回数が多すぎて私自身も把握しきれなくなりつつあります。(週3〜4件ペースの面接でしょうか)
1.自分のすきなことを仕事にしよう。
2.自分の価値を下げるな。仕事がない=ダメ人間ではない。
3.1日24時間を最大限に自分の時間として使う。
果たして禁煙はいつまで続くのだろうか(3ヶ月目)
果たして禁煙はいつまで続くのだろうか・・・もうすぐ禁煙3ヶ月目になります。
禁煙に対する症状は、本当に変わっていくものなのですね。
覚書で残しておきます。
脱禁煙!3ヶ月目でようやく実感
近くにいて、「あれ?タバコの話全くでないんじゃない?」って思うようになりました。以前は「吸いたい気持ちがなくなった」など、タバコは吸わないけどタバコの話をよくしていましたが、今では話題にもあがらなくなりました。日中でもすっかりタバコのことは全く考えず過ごしているようです。
散歩の習慣は今でも残っています。いい習慣が残りました。
皮膚の痒みがなくなった。
皮膚が弱く、乾燥肌でアレルギーもちからか、痒みがかなりひどく特に寝るときに塗り薬がかかせなかったのですが、現在はすっかりよくなりました。「春になる頃には治っているといいね」と励ましていましたが、春が来る前に症状が治まりました。
禁煙による様々な症状をみてきましたが、1ヶ月程度で治ることがほとんどでした。
体重の増加が止まる。
体重が増加していましたが、それも治まりました。今はそんなに体重が増えた話もなくなりました。どちらかといえば減ってきたようで、サイズの合うズボンが欲しいと言ってました。
3ヶ月目でのごほうびを目指して頑張ってもらってましたが、無職のためにありません!就職活動は自分のできそうな仕事を応募しているのですが、連絡すらなかったり面接も落ちています。来週は面接3件に資格講習にも行くようです。妻はひたすら見守ってます。いつも伝えていること
【自分のやりたいことをやるのだ!】
春日深青(Kasuga mio)
配偶者の仕事がなくなり1ヶ月経過したところで思うこと
旦那さんの仕事がなくなり1ヶ月が経ちます。その間の就職活動をしていましたがどうやら決まりませんでした。
・正規雇用の電気関係2件
・某受付アルバイト1件(結果待ち)
・某専門職1件(申し込み中面接待ち)
それ以外にも、2件資格取得をするために現在勉強中(試験は来月)
色々頑張っていますが、決まりません。そんな配偶者をもつ妻の思うところは、決まらなくても気にならないというのが正直な感想です。
私の3つの幸せ時間
毎日朝起きて彼がいること
仕事から帰ってくると迎えてくれて温かいご飯を一緒に食べること
夜眠る瞬間に隣にいてくれること
この3つが私にとって最高に幸せな3つの時間なので、仕事が決まらないとかは本当どうでもいいことなのです。それは、自分に収入があることが大きいと思うのですが、「決まらない」という事実を気にしていても、それが事実であるかぎり変えることができないからです。気にしてもしかたない。なんとかなるでしょう。
命があればいいのです。いまを生きる気力があればいいのです。
もちろん彼は気にしているでしょう。イライラもしているかもしれません。不安に思っているかもしれません。社会から取り残されている感じがしているかもしれません。将来が不安なのかもしれません。
でもそれを一緒に感じてしまったらダメなのです。一緒に感じてしまうと共倒れになってしまう。私は私の幸せを感じて生きるということに決めました。彼の不安を一緒に背負うことは絶対にしません。私は自分の感じる幸せな時間を守り、感じてこれからも生きていきます。
繰り返し伝える言葉
「ありがとう」
繰り返し繰り返し繰り返し伝えています。
家のことをしてくれて「ありがとう」ご飯を作ってくれて「ありがとう」そうじをしてくれて「ありがとう」仕事から帰ってくるのが遅いのに文句も言わず「ありがとう」それなのに同僚と飲みにいくのも許してくれて「ありがとう」
「だいじょうぶ」
これは自分に向けて伝えている言葉です。「だいじょうぶ」「なんとかなる」こうやって自分で自分を励ます。そうすることで「だいじょうぶ」な状態が保てています。もしかしたら側から見ると「だいじょうぶ」にみえないかもしれないけれど、でも本当に「だいじょうぶ」なんです(笑)
もし、同じ状態で悩んでいる人がいるならば「自分の幸せ」を考えるといいと思います。私たちは幸せに生きる権利があります。幸せに生きることは誰にも邪魔されるものではありません。自分の考え方や選択によって幸せを感じるか不幸を感じるかは本人次第なのです。
一緒に「自分の幸せ」を追求しましょう。まず自分が幸せを感じないと相手を絶対に幸せにすることはできませんから。
いまを生きる
春日 深青(Kasuga mio)
始めることは実は簡単で、難しいのは続けることである
以前続けると続けられない境界線の話を書きました。
「続ける」と「続けられない」の境界線とは何か - スキコト*ライフ
まず、「続ける」と「続けられない」の前に、「始める」というのは実は簡単なことであって「続ける」という方が難しいのではないか?ということに最近気がつきました。
以外と始めることは簡単である
ブログを始める・仕事始める・趣味を始める
新しいことを始めることにハードルの高さを感じている人がいるようですが、以外とそのハードルは低いものです。「とりあえずしてみよう」と決めてしまえば、あっさり始めることができてしまいます。
新しいことを始めるのに、時間がない・お金がない・勇気がないなど「ないないない」と私の嫌いな「ない」を重ねると本当になにもできない人になってしまいますが、自分の気持ち次第でいくらでも新しいことは始められることができてしまものです。
今は二度とかえってきません。とりあえず「いまを生きる」のです。
続けることが難しい理由はだた1つだった
以前の記事で続けることが難しい理由を
①自分にとって必要か必要でないか
②目標が高く負担が重い
③ゴールがない
と、3つ挙げていましたが、あれから考え方も変わり、実は違うのではないかと思うようになりました。
単に続けることが難しい理由は「変化を嫌う」ではないだろうか。
人間は「変化を嫌う」生き物ではないかと感じることがあります。
「いや違うぞ!常に新ことをしたいんだ!」と私も常々思っています。しかし、現状は今いる状態に慣れてしまって変化に対して億劫になってしまうことがあるように思います。
例えば「ダイエット」
「痩せたい!」と変化を望み挑戦するのですが、結局今いる状態に慣れてしまい、なかなか運動できない、食事のスタイルを変えることができない、服のサイズも変わってしまうからこのままでもいいか、今の状態が楽かも・・・となって、結局続けることが難しくなってしまう。
例えば「語学習得」
「英語を勉強したい!」と変化を望み挑戦するのですが、結局時間もないし、特に英語が話せなくても生活することができるし、そんなに必要性を感じないし、今の状態で十分満足し・・・となって、結局続けることが難しくなってしまう。
例えば「ブログ更新」
「ブログを書いて発信したい」と挑戦するけど、このブログだれか読んでるの?反応もないし、自己満足で書いてる文章だし、書き続けることでとくに大きな変化もないし、書いても書かなくても一緒じゃない・・・となって、結局続けることが難しくなってしまう。
例えば「禁煙」
「健康のために禁煙するぞ」と挑戦しても、その間ツライし、イライラするし、辞めようと思えば思うほどタバコのことを考えてしまうし、今まで吸ってたんだからこのまま吸い続けても別にいいか・・・となって、結局吸い始めてしまう
・・・・はずが!うちの旦那さんは続けることができている。
「負」のループから抜け出せているではないか!続けることは難しい、でもその続けた先にみえる景色は今まで違った大きな景色がみることができるのです。
春日 深青(Kasuga mio)