スキコト*ライフ

日々のライフスタイルについて思ったことを記録する覚書

「続ける」と「続けられない」の境界線とは何か

私は「続ける」ということが「苦手」な人間です。 かといって、すべて「続けることができない」ということもありません。 もしかしたら他の人は「続ける」ことなんて簡単なのかもしれない。

私の中で続けることの「できること」と「できないこと」の違いはなんなのかを考えてみました。

続けることができたこと

①資格取得

某資格を3年かかって取ることができました。 どうしても、欲しい資格で、その資格がないと仕事ができなかったということもあり、必死に取得しました。

②ダイエット

ようやく、自分の希望としていた体重になりました。なかなか痩せませんでしたが、とりあえずその体重にならないと自分の身体がツラくて、身体が重いと動かないこともあり痩せることができました。食事制限や間食を徹底的に見直しました。

続けることができないこと

①部屋の片付け

「ものを減らす」ことを目標として生活していますが、どうしてもできません。すぐに散らかってしまう部屋に嫌気がさします。一時期綺麗にしてもまた気がついたら散らかっている・・・なかなか悪循環からの抜け出しができません。

②ブログ

このブログも毎日の更新はできません。ブログを書く時間の捻出と自分の思いがうまく文章に表現することができず、ついつい更新が滞ってしまいます。

③語学習得

英語が話せるようになりたいと、何度か語学習得にチャレンジしてきましたが、結局続かず断念。そしてまたチャレンジを始めるが結局断念。その繰り返しループから抜け出せません。

 

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「続ける」と「続けられない」の境界線とは

 ①自分にとって必要か必要でないか

続けられたことは、自分の人生にとって「必要なこと」続けられなかったことは自分の人生にとって「必要ではないこと」なのかもしれない。自分の生き方にとって必要なことであれば、どんなことでも続けられる。

それは、自分が本当に「したいこと」か「したくないこと」かの違いでもある。きっと資格を取得したり体重を落とすことは、自分にとって「したい」ことであり、部屋の片付けやブログは「したくない」ことなのだ。

 

②目標が高く負担が重い

資格取得やダイエットも目標が高く負担が重いと感じる項目に当てはまりそうだが、上の2つは自分の生き方にとって「必要なこと」と認識された時点で目標の高さや負担を感じるということがなくなる。しかし「続かないこと」を分析すると

すべてのものを減らしたい→今までものに囲まれた生活をしていた自分にとっては、急なライフスタイルを変えることは目標が高く感じ負担に感じる。

ブログは毎日更新する→自分にとっては目標が高く負担になる。

そのために、目標設定を低くして負担の感じない程度にする。

すべてのものを減らしたい→できるところから徐々に減らす

ブログは毎日更新する→毎日ではなく、とりあえず週1回を目標にすると、自分にとってハードルを下げることで続けることができるようになるのかもしれない。

 

③ゴールがない

資格取得には合格、ダイエットには目標体重というゴールが明確になっているが、部屋の片付けは延々と続き、ブログにもこれといったゴールの設定がない。また、語学習得に至っても、習得した後のビジョンがないため、結局は明確なゴールがないことに気がつく。

なぜ、それそ続けるのか?続けるにはどんな目標があるのか?ある程度のゴールがあると続けられるのかもしれない。

たとえば、部屋の片付けやブログが3ヶ月続いたらご褒美、語学習得したら海外旅行など、明確なゴールが定めにくい場合はご褒美制度に変えてみるのもよい。

>>禁煙を1ヶ月続けたらご褒美に通じる

 

これから「続けられるために」

①部屋の片付け

家庭ゴミとは別に週1回で1袋作る。一週間で1袋作り月曜日にゴミを出す。

②ブログの更新

毎日ではなくて最初は週1〜2回の更新を目指す。無理はしない。

③語学習得

今の自分には必要ないと割り切る。語学習得はしない。必要なときになれば行う。

 

未来はいまここからつくる。いま出来ることをしよう。いまを生きる。

春日深青(Kasuga mio)