スキコト*ライフ

日々のライフスタイルについて思ったことを記録する覚書

自分のために休暇を使うことは悪いことではない。それなのに何故責められるのかを考えてみた。

今日は職場で午後から研修会がありました。(研修会の参加は任意参加です。)

研修会の内容としては、全体会がありその後専門分野に分かれての研修になります。

私が今回参加したのは全体会のみで、後半の専門分野に分かれての研修会には休暇を取って出ませんでした。職場では①研修会自体に出ない②全体会だけ出る③最後まで参加するの3パターンがありました。 

私は②を選択しました。現在の全体的な様子だけを知り、まだ専門分野をしっかりとしぼりこめていないこともあり正当な休暇を申請して帰宅しました。しかし職場を出るときに「研修会に出るなら最後までいないと意味がない」といわれてしまいました。

 

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何故自分のために休暇を申請したのに責められたのだろうか

まだ経験が浅いから

確かに自分は転職組で、職歴が浅いほうです。熱心に取り組んでいないように思われたのかもしれません。もちろんその研修会で得られることはもちろんあります。しかし、自分にとって有益に感じないものに対して参加したいとは正直思いません。

自分との価値観が違うから

その人にとっての価値は、研修に出て新しい知識を得ることということを長年続けてきたのかもしれません。私にとって価値あることは、休暇をとり現在家庭を守って頑張ってくれている旦那さんに代わって日頃できない家庭のことをしたいと思っています。

社会全体をみると、まだまだ自分のために休暇を使うことに批判的な風潮があるように感じます。私は新年度に新しい年休が20日プラスされますが、最大年間40日しか繰り越せないため、毎年7〜10日ほど消化出来ずに消えていきます。

社会の風潮に左右されすぎ。結局自分から変化を望んでいないからだ。

日本は有給を取るときに罪悪感を感じるとか有給消化率が悪いとか言われていますが、結局はそういう風潮を当たり前に感じてしまっている思考がそもそもよくないのかもしれない。その風潮をなんの疑問を感じずに「有給がとれないのは当たり前だ」とか「有給が取れないのは仕方ない」と思って過ごしているから有給が取れないのです。いや違います。日本人は有給を取れないのではないので取らないのです。

有給休暇は労働基準法で定められている働く人の権利です。職場の同僚に迷惑をかけながら休暇を取るというのを推奨しているのでは全くありません。

お互いが心地よく仕事ができるように、配慮しながらも自分のために休暇を使う。そんな職場でありたいと思います。

いつまでもあると思うな命と時間。自分のための時間を大切しよう。

明日が必ず来るとは限らない。いまを生きるのです。

 

春日 深青(Kasuga mio)